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更新日:2008年08月22日
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本校の特徴 / H20 研究報告 / 本校の沿革と概要 / 学校教育目標 / 「橘小学校」校名の由来
本校の特徴
本校は京都府のほぼ最北端に位置し、校区一帯は山陰海岸国立公園の指定内にある。夏の海水浴、秋の梨狩り、冬の季節料理など四季折々の賞味や風光明媚を求めて多くの観光客でにぎわう。
校区は、旧網野町の中でも引原峠を隔てた西のはずれにあり、木津・浜詰の2つの地区からなり、1小学校、1中学校のまとまった地域性を持っている。校区の歴史は古く、浜詰遺跡や函石遺跡など、数多くの古代遺跡が発掘されている。また、地区の産業は、丹後縮緬としての伝統を持つ、織物業、砂丘地農業、漁業、温泉を生かした旅館・民宿業がその主なものである。とりわけ、近年、冬場のカニ料理は有名で、多くの観光客をめあてに近代化した旅館が増え、現在40軒余りの旅館が建ち並んでいる。
本校は、昭和47年に木津・浜詰の2小学校が統廃合され新たに開校した。児童は地区により徒歩通学、バス通学、自転車通学を行っており、本校の特徴でもある。児童は、このような恵まれた自然環境と地域の強い連帯意識のもとで、学習や運動に励み、伸びやかに充実した学校生活を送っている。
平成20年度 研究報告
本校の沿革の概要
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橘小学校沿革の概要
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明治
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10年
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浜詰小学校創立
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15年
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木津小学校設置
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昭和
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47年
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木津小学校、浜詰小学校統合により「網野町立橘小学校」の開校。
新校舎を現校地に建設
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49年
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実質統合による、木津・浜詰校舎の新校舎移転
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53年
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グランド大整備
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55年
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プール完成
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57年
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本校統合10周年記念式典並びに記念行事開催
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平成
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2年
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校舎大改修工事(第一期)大体育館
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3年
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校舎大改修工事(第二期)北校舎
歯の健康診断で京都府歯科医師会より優秀賞受賞
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4年
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校舎大改修工事(第三期)南校舎管理棟
京都府健康優良学校努力校受賞
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5年
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本校統合20周年記念式典並びに記念行事開催
文部省委託事業・京都府教育委員会指定(2年間)
「ふるさと交流学習促進事業」の実施~1年次
(京北町立黒田小学校児童の招待及び交流会実施)
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6年
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「ふるさと交流学習促進事業」の実施~2年次
(京北町立黒田小学校児童の招待及び交流会実施)
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8年
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初任者研修指定
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11年
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京都府教育委員会指定国際理解教育推進事業
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12年
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京都府教育委員会・網野町教育委員会指定(2年間)
小・中学校教育実践パイロット校「総合的な学習」~1年次
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13年
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〃~2年次
少人数教育の実施
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14年
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本校統合30周年記念式典並びに記念行事開催、記念誌発刊
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15年
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初任者指導教員配置
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16年
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市町村合併により、京丹後市立橘小学校に改称
歯の健康診断で京都府歯科医師会より優秀賞受賞
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17年
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初任者指導教員配置
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18年
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京丹後市学校給食研究大会会場校
日本学校歯科医医師会より受賞
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20年
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文部科学省指定 全国学力・学習状況調査等を活用した学校改善の推進に係る実践研究 |
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21年 |
文部科学省指定 平成21年コミュテイ・スクール推進事業調査研究(1年次) |
学校教育目標
学校教育目標
「賢く たくましく 心優しい子の育成」
めざす児童像
(1)たくましく元気な子(体)
(2)ちえを出しがんばる子(知)
(3)なかよくやさしい子(徳)
めざす学校像
(1)学力の充実・向上と一人ひとりの個性・良さ・可能性を伸ばそうとする学校
(2)家庭・地域との連携を深めながら特色ある開かれた学校
(3)児童が生き生きとして輝き、地域の信頼に支えられた活力と潤いのある学校
めざす授業像
(1)児童・地域の実態をふまえ、全教職員が共通理解・内面理解した指導
(2)基礎・基本を徹底するため、個々の児童に視点をあてたきめ細かで丁寧な指導
(3)授業改善に務め、各教科の目標に準拠した指導
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【21年度学年別児童数】
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学年
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1年
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2年
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3年
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4年
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5年
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6年
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特支
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合計
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児
童
数
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男
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5
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21
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15
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16
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17
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11
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2
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87
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女
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11
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17
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16
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18
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12
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13
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2
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89
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計
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16
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38
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31
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34
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29
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24
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4
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176
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(H21 8月31日現在)
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年間主要行事計画
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月
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行事
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4
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始業式、入学式、身体測定、学力診断、通学班会
修学旅行、PTA総会、家庭訪問
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5
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家庭訪問、交通教室、1年生を迎える会、避難訓練
自転車点検、
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6
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春の運動会、体力テスト、ソフトバレー大会、保小連絡会、読書旬間、人権旬間、クリーン作戦
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7
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通学班会、地区別懇談会、大掃除、終業式、水泳教室
海での水泳検定
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8
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奉仕作業、廃品回収
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9
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始業式、大掃除、夏休み作品展、通学班会、区民運動会
避難訓練、読書月間、北ブロック陸上記録会
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10
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読書月間、秋の遠足、社会見学(5年)児童会選挙、祖父母参観、児童総会、マラソン大会、小学校駅伝競走大会
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11
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子どもギャラリー展、人権月間、学習発表会
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12
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人権意見発表会、通学班会、大掃除、終業式
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1
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始業式、大掃除、書初展、給食週間、避難訓練、スキー教室
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2
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性教育月間、入学説明会、新入生体験入学、児童会選挙
PTA総会
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3
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6年生を送る会、卒業式、大掃除、修了・進級式
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「橘小学校」校名の由来
田道間守(但馬国守)が「非時香果」を求めて「常世国」へ
第十一代 垂仁天皇が、「不老不死の霊果非時香果(ときじくのかぐのみ)」を求めに常世国(とこよのくに)に、但馬の国守 田道間守(なじまもり)を使者に送る。
田道間守は但馬の国守であったが、その勢力は山陰・山陽まで及んでいた。祖先は、朝鮮の新羅王家の出であるところから、諸藩も同家には特別の敬意を表していた。
非時香果を常世国に求めたのは表面上の理由で、日韓支三国の国交上の重大な使命があったものと思われる。【日本古代史より:久米博士】
「橘(たちばな)」の地名のいわれ
1.「橘(きつ)」という地名
田道間守が帰朝したのは、第十二代景行天皇元年三月。その着船の港が、丹後国函石浜であった。このことから、「橘(きつ)の実」が我が国に最初に着いた土地であることから、それ以後この土地を「橘(きつ)」というようになった。
2.植物名「橘(きつ)」が「橘(たちばな)」と訓まれるようになったのは
非時香果、即ち「橘(きつ)」は、その後「田道間花(たじまばな)」というようになり、省略されて「たじまな」となり、更に省略されて「たしまな」となり、更に「たちばな」と訓み、「橘」と書く様になった。
3.地名「橘(きつ)」から「木津(きつ)」へ
「橘(きつ)」が我が国に初めて到着した所であるから、この地一帯を「橘(きつ)の庄」というようになり、「橘」と書いて「きつ」と訓んでいた。奈良朝の元明天皇の御代、「我が国の国名、地名を二字にすること」という簡明勅令が出たので「橘」の木を意味して木をとり、船着き場であったところから津をとって、「木津」の二字に書き改めるようになったものと考えられる。
「橘小学校」の校名のいわれ
この地は、「橘(きつ)の実」が我が国に最初に着いた土地であることから「橘」と呼ばれていたので、昭和47年、この地にあった木津小学校と浜詰小学校の統合により現在地に新設した統合校の名前を、「橘(きつ)」の現在名の訓み方である「橘(たちばな)」を冠して「橘(たちばな)小学校」とした。
橘小学校の「橘の木」のいわれ
学校統合10周年記念植樹として橘の木が選ばれ、橘の木の幼木が校舎中庭に植えられ、順調に育ち、現在に至っている。
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