デジタルミュージアムC69細川ガラシャ夫人隠棲地
細川ガラシャ夫人隠棲地
ほそかわがらしゃふじんいんせいち
山深い味土野の里にある細川ガラシャ夫人の隠棲地(女城跡)(いんせいち)は、ガラシャ夫人の父・明智光秀が本能寺の変を起こした天正十年から十二年(1582~1584)までの二年間、ガラシャ夫人が幽閉されていた場所である。また、谷を挟んだ向かいの丘陵は「男城跡」(おじろあと)で、ガラシャ夫人に付き従った家来達の居城の跡と言われている。
<細川ガラシャ>明智光秀の三女・ガラシャは本名を玉子といい、天正六年(1578)に細川忠興(ほそかわただおき)と結婚後、丹後宮津城に居住した。本能寺の変後、味土野で二年間の隠棲生活を送り、豊臣秀吉に許され、再度忠興と復縁し、大坂に移り住んだころ、キリシタンの洗礼を受けた。忠興が出陣中の慶長五年、石田三成が玉子に対し、人質となることを命じて細川邸を包囲するに至り、自ら覚悟の死を遂げた。
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更新日:2018年03月27日