デジタルミュージアムC71肥後の墓
肥後の墓
ひごのはか
久美浜松倉城主松井佐渡守康之は、菩提寺宗雲寺山中に、出身山城から、父山城守正之・母法寿の墓を移し、のち、天正15年(1587)五輪の大塔を建立し供養を行った。やがて城主が、九州八代に移ったので、「肥後の墓」との名が残ったのである。現在の墓は天明3年(1783)に建て直されたものである。
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更新日:2018年03月27日