絹屋佐平冶関係資料(市指定文化財)

絹屋佐平冶(森田冶郎兵衛)関係資料

きぬやさへいじ(もりたじろべえ)かんけいしりょう

絹屋佐平冶奉納のちりめん写真

絹屋佐平冶が奉納したとされるちりめん
京丹後市指定文化財

ちりめんの拡大写真

奉納されたちりめん 京丹後市指定文化財
(拡大)

小西山縁起の写真

小西山縁起 京丹後市指定文化財
(絹屋佐平冶記載部分)

丹後の伝統産業として知られる丹後ちりめん(縮緬)は、享保5年(1720)に峰山の絹屋佐平治(後に森田治郎兵衛)が、翌年に加悦の手米屋小右衛門、山本屋佐兵衛、木綿屋六右衛門の3人が協力し、ちりめんの撚糸技術を京都西陣から丹後へ導入したことに始まると伝えられています。
丹後地域は、古くは弥生時代後期の今市2号墓(京丹後市大宮町河辺)出土の鉄製やりがんなに巻かれた絹糸、古墳時代前期のカジヤ古墳出土筒形銅器に付着した絹、天平11年(739)に鳥取郷より調として朝廷に納められ、現在は正倉院宝物として伝わる赤絁(あしぎぬ)、『庭訓往来(ていきんおうらい)』に中世の諸国の特産品として「丹後精好(せいごう)」の記述が見られる点など、古くから絹織物の産地として知られていました。江戸時代初期には「撰糸(せんじ)」、「紬(つむぎ)」を織っていたとされ、古くからの絹織物産地としての素地の上に、新たにちりめんの撚糸技術が導入されたと考えられています。
本資料は、佐平治が奉納した織り始めのちりめん白生地とされています。佐平治は、撚糸技術導入に際して禅定寺に祈願を行っており、織り始めのちりめんを禅定寺に奉納したと伝えられています。なお本資料は、かつては丹後の織物業者が家業繁栄のためのお守り、あるいはご神体にと切り分けられたようですが、現在は昭和49年(1974)新調の桐箱に納められ、大切に保管されています。
なお、織り始めの縮緬は、撚りのない経糸に対して右撚り1本と左撚り1本の2本の緯糸を通す二越縮緬と呼ばれるものです。機械織りの現在の機械製品と比較すると生地が不均質で、手織りで作成されたことがうかがえます。現在に続く丹後ちりめんの始源とも言うべき資料で、歴史的、技術的に見て大変貴重なものです。
また、紙本墨書小西山縁起は、小西山禅定寺の由来を記したものです。巻子装のもので、本紙には界線が入っています。内容は、小西山禅定寺の由来に始まり、絹屋佐平治(森田治郎兵衛)による丹後ちりめんの始まりについて記載しています。縁起の前半は、禅定寺のかつての本尊文殊菩薩像が谷汲山華厳寺(岐阜県揖斐川町)の本尊となった点、現在の本尊木造聖観世音菩薩立像が行基作である点、文明年間に泉州の円舜行人とともに勧進を行った点が記されています。後半には、絹屋佐平治が小西山に参籠断食し祈願して、西陣から縮緬の技術を習得して帰った点が記されています。年代の記載はないものの、記載内容等から見て江戸時代後期以降に作成されたものと推定しています。
両資料は、織り始めの縮緬の由来や伝承を現在に伝える資料として大変貴重なものです。

(禅定寺所有)

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更新日:2018年05月01日