峰山町五箇の気張るファーマー(きょうたんご米気張るファーマー通信 Vol.19)

Vol.19 中井 敏博(峰山町五箇)

 父の後を継いで、地域最大の担い手

 峰山のいさなご山の麓でこだわりの米づくりを続けている中井敏博さん(70)に話を伺った。

 中井さんは現在、峰山町五箇、鱒留地内で水稲を約18ha、壬生菜や水菜、水稲苗などをハウス6棟で生産し、稲刈、乾燥・調整などの受託作業も行っている地域最大の担い手である。

 そんな中井さんが農業を始めたのは、会社勤めをしていた20歳の頃。兼業で米づくりをしていたお父さんが亡くなったことがきっかけだった。当時は米の単価もよく、自分も父と同じように会社勤めをしながら農家を継いでいこうと考えたそうだ。後に、48歳で会社を辞め専業農家となった。

 40歳になった頃には、近所の農家とともに「五箇営農組合受託部」を立ち上げ、五箇地域の約6割の圃場の稲刈を請け負ってきた。また、「稲作を辞めるから、田んぼを作ってもらえないか」と依頼されることも年々多くなり、農機具の導入・更新やメンテナンスなどの経費も増えていった。

 さらに、補助金制度がなかった頃からワイヤーメッシュを設置するなど、早くから獣害対策にも力を入れてきた。

 そんな稲作について中井さんは「機械整備だけでも年間1,000万円ほどかかる。獣害対策だけでもこれまで1,000万円以上使ってきた。稲作は経費がかかり過ぎるわ」と嘆いていた。

 

作業する中井さん

五箇地区の約3分の1の圃場を担う中井さん。稲刈時期は超多忙な毎日となる

 特別栽培米にいち早く取り組む

 中井さんは「より安心・安全で、美味しいお米」にこだわっている。

 農業に従事するようになってからは、「人より美味しいお米を作りたい」と、各地の研修会に参加するなど、稲作の研究にも熱心に取り組んだ。

 30年ほど前から、減農薬・減化学肥料の美味い米を作ろうと、当時、京丹後市内ではあまり例のなかった特別栽培米の生産にいち早く取り組んだ。

 同時に、「疎植栽培」も導入した。疎植栽培とは、苗と苗の株間を広げて植栽密度を下げる栽培方法で、これにより苗数を減らすことができ、米粒も大きくなり、美味しいお米ができるそうだ。

 田植えと同時に田面に肥料を散布する「側条施肥」やより質の高い米を出荷するために色彩選別機の導入などにもいち早く取り組んだ。

 このように研究を重ねて、新技術を導入し、減農薬・減化学肥料で作られたお米は、とても評判がよく、高値で買い取ってもらうことができた。

 また、中井さんの圃場はいさなご山の麓で、民家が少ない場所にあることから、山からの澄んだきれいな水が流れてくるため、より一層お米が美味しくなる。

 10数年前、地元の仲間たちと、この地域で採れた米を「いさなご山の羽衣伝説の池から流れ出た水でできた『天女米』として売り出そう」と、京丹後市の補助金を活用してのぼり旗や横断幕などを作成した。(※1)

 その後、家の近くに新しく作業場を借りて営農を広げるなど、順調に米づくりが進んでいた中井さんだったが、作業場を借りて2年目に大火事に見舞われ、乾燥機や調整機、石取り機などが全焼した。

 一時は、農業を辞めようかとも考えたが、農機具等で多額の借金も残っており「会社などに勤めていても返済はできん。農業を続けていく方がまだ返済できる可能性がある」と考え、農業を続ける道を選んだ。中井さんは「こうなった以上、いやでも農業をやっていくしかなかったんだ」と笑いながら当時を振り返っていた。また、「周りの多くの人から援助してもらったおかげで(農業を)続けて来られた」と感謝していた。

 そのようにして作られた中井さんのお米は、現在、米の卸売業者からインターネット販売などで売られている。また、京都の錦市場の米屋さんでは、新潟の魚沼産に次ぐ二番目の高値で販売されていたらしく、中井さんは「(高値販売は)誇りを感じるが、逆に、プレッシャーも感じる。おかしげな米は作れない」と笑っていた。

 この取材中にも岐阜県の人から米の配達依頼の携帯電話が鳴った。やはり、遠方にもリピーターがいるほど美味しいお米なんだなと、改めて感じた。

 

作業場の様子

自宅から約3.5km離れた山中の旧自宅を改造した作業場。農地の近くに作業場を移転することが現在の重要課題だと話す

 移住して農業従事ができるように・・・

 最後に今後の農業のことを聞くと、「ワシももう70歳。この1月には腕の手術を受けて入院していたし、足腰も痛む。若い頃、無理をして体に負担をかけていたツケが回ってきたのかも知れん。いつまで農業ができるのか分からん。五箇地区でも農業者のほとんどは65歳以上で後継者不足となっている。10年後にはどんな時代になるのか…」と不安を募らせていた。

 そして、「これからは五箇や鱒留、二箇、久次など近隣地区で農地を集積して、集落を越えて営農していかなければ農地は守れない」と話し、当面の目標は「農地の近くに作業場を移転することが重要課題」と話す。

 「自分が農業を辞めたとき、息子が継いでくれなくなっても農地を荒らすことはできないし、後継者不足を解決するためにも、都会から移住して農業に従事してもらえるように、農地と機械、空き家をセットで提供できるような仕組みづくりが必要だ」と、地域農業を守り続けることを熱く語っていた。

 中井さんのお米の美味しさは、多様な技術ときれいな水と、そして地域を想う熱い気持ちが生み出しているのだろう。

 

地域農業を守り続けることを熱く語る中井さん

移住してきた人がすぐにでも農業できるような環境づくりが必要だと語る中井さん

 

【脚注】

※1 「天女米」…現在は、JAが五箇や鱒留地区で採れた米を地域限定の「天女米」として販売中。中井さんの米は出荷されていない。

 

(気張るファーマー通信編集部 志村)

取材日:令和3年2月9日

 

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更新日:2021年02月16日