日本遺産~300年を紡ぐ絹が織り成す丹後ちりめん回廊~
構成文化財の追加認定について
平成29年4月に認定された日本遺産(Japan Heritage)『300年を紡ぐ絹が織り成す丹後ちりめん回廊』の構成文化財として、「吉村家住宅、吉村家別荘[桜山荘(おうざんそう)]」「網野神社・蠶織神社(こおりじんじゃ)」「丹後ばらずし」他1件が構成文化財として追加認定されました。
吉村家住宅
吉村家別荘(桜山荘)
網野神社
蠶織(こおり)神社
丹後ばらずし
『300年を紡ぐ絹が織り成す丹後ちりめん回廊』の概要
京都府北部の丹後を訪れると、どこからか聞こえてくるガチャガチャという機織りの音。
丹後は古くから織物の里であり、江戸時代に発祥した絹織物「丹後ちりめん」は、しなやかで染色性に優れ、友禅染などの着物の代表的な生地として、我が国の和装文化を支えてきました。
この地は今も着物の生地の約6割を生産する国内最大の絹織物産地であり、織物の営みが育んだ、住居と機場が一体となった機屋や商家、三角屋根の織物工場の町並みと、民謡宮津節で歌い継がれた天橋立などの象徴的な風景を巡れば、約300年に渡る織物の歴史と文化を体感することができます。
京都府ホームページ「「日本遺産(Japan Heritage)」の認定について」
日本遺産(Japan Heritage)の概要
地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」に認定。ストーリーを語る上で欠かせない魅力ある有形・無形の文化財群を地域が主体となって、総合的に整備・活用し、国内外に戦略的に発信することで、地域の活性化を図ることを目的に、平成27年度に制度化されました。
京丹後市の構成文化財
番号 | 文化財の名称 |
---|---|
1 | 絁(あしぎぬ)の碑 |
2 | 丹後ちりめん |
3 | 八丁撚糸(はっちょうねんし)機 |
4 | 禅定寺(ぜんじょうじ) |
5 | 常立寺(じょうりゅうじ) |
6 | 金刀比羅神社(ことひらじんじゃ) |
7 | 丹後織物工業組合中央加工場 |
8 | 足米(あしよね)機業場 |
9 | 網野・弥栄の機屋(はたや)の町並み |
10 | 丹後ちりめん小唄 |
11 | 京丹後ちりめん祭 |
12(追加認定) | 吉村家住宅、吉村家別荘 |
13(追加認定) | 網野神社・蠶織(こおり)神社 |
14(追加認定) | 丹後ばらずし |
吉村家住宅、吉村家別荘[桜山荘(おうざんそう)]
吉村家住宅:京丹後市峰山町浪花
吉村家別荘:京丹後市峰山町菅
吉村家は、天保元年(1830年)から続くちりめん商家で、4代目の吉村伊助氏は、地元での精練と検査制度の開始など、丹後ちりめんの発展に尽力した。「吉村家住宅」は昭和初期の建物で、現在も吉村商店の店舗として使用されている。
吉村家の別荘である「桜山荘(おうざんそう)」は、吉村伊助氏が、大正8年(1919年)に建築した荘厳な建物で、ちりめんによる繁栄を物語っている。
吉村家住宅
桜山荘
網野神社、蠶織(こおり)神社
京丹後市網野町網野
網野神社の境内にある蠶織(こおり)神社は、大正14年(1925年)に、地元のちりめんと養蚕の関係者が織物と養蚕の神を奉祀したもので、毎年4月には、地元の織物関係者が祈願祭を行い、丹後ちりめんを奉納している。
網野神社
蠶織(こおり)神社
絁(あしぎぬ)の碑
京丹後市弥栄町鳥取(地図)
奈良の正倉院に天平11年(739年)「丹後国竹野郡鳥取郷」と記された絹織物「絁(あしぎぬ)」が保存されていることから、当地に顕彰碑が建立され、先人に感謝し、丹後ちりめんの発展を祈願する顕彰祭が行われる。
丹後ちりめん
緯糸(よこいと)に強い撚(よ)りをかけた生糸を使い、生地に細かい凸凹状の「シボ」がある織物。しなやかな風合いで、発色性に富むのが特徴。
江戸時代に峰山の絹屋佐平治(きぬやさへいじ)と、加悦谷の手米屋小右衛門(てごめやこえもん)、山本屋佐兵衛(やまもとやさへえ)、木綿屋六右衛門(もめんやろくえもん)が京都西陣から技術を習得し発祥した。
丹後ちりめんの創業者の一人、絹屋佐平治が京都の西陣の技術習得を祈願し、佐平治が最初に織ったちりめんとされる「縮(ちぢ)み布」が奉納されている。
丹後ちりめんの創業者の一人、絹屋佐平治(後に森田治郎兵衛(もりたじろうべえ)と改名)の墓碑があり、現在も同氏の功績をたたえる慰霊祭が行われる。
丹後ちりめんの繁栄が財政を支えた峰山藩の藩主、京極(きょうごく)家が創建し、ちりめんの繁栄を背景に、広大な神域や多くの社殿群を有し、華やかな屋台行事が行われる。
境内の糸商人や養蚕(ようさん)家が建立した木島神社(このしまじんじゃ)には、養蚕の大敵であるネズミを退治する狛猫がある。
丹後ちりめんは、かつては精練(せいれん)(湯で煮て絹糸の表面のタンパク質(セリシン)を取り除く工程)されず京都の問屋へ出荷されたが、昭和初期に、地元で精練と検査を行う国練(くにねり)検査制度を開始。
現在も本工場で精練・検品を経て、丹後ちりめんとして出荷される。
網野(京丹後市)にある織物工場で、昭和初期のノコギリ型の三角屋根のある織物工場特有の建物が残る。
丹後ちりめんの工場の多くは、住宅に小規模な機場を併設して行う家内工業的な形態であり、網野町浅茂川(あさもがわ)や弥栄町和田野地区には、こうした機屋(はたや)が点在している。
昭和10年(1935年)に、丹後ちりめんの宣伝のため、新たに作られた唄でお座敷唄としても唄われた。
約70年に渡り続く、丹後ちりめんによるファッションショーなどの着物の魅力を発信・体感する祭典。
関係リンク
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京都府京丹後市網野町網野385番地の1(ら・ぽーと)
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更新日:2018年05月24日